実家近くの斎王宮跡へ
今日は、いつも帰省のたびに訪れる、伊勢の美味いお店を全部回ってみようと思う。
昔から慣れ親しんだ味ばかり。欲張りな企画。お昼前にお腹をすかせて出掛けることに。
・・・・・
その途中に寄るのは、斎王宮跡という町内の史跡。
大昔、天武朝から南北朝時代まで、7世紀に渡って、ここ明和町の地に斎王宮という宮殿があった。
発掘されたのは、東西2km、南北700m。これでも全体のわずか15%の面積だそうな。
ここは、斎王という皇女が伊勢神宮に仕えるための居所。
ワタシが中高生の頃から発掘が始まり、1994年に史跡の上に、斎宮歴史博物館が建設された。
●バブル期に計画されただけあって、ホントに立派な斎宮歴史博物館
できたばかりの博物館に入ったことがある。
建物は発掘跡の真上に建っている。館内では発掘跡を間近に観察でき、見ごたえがあった。
ビデオ映画の出来がよく、ちょっと感動してしまったことを思い出す。
日本という国名が初めて使われたのは、天武朝あたりだったと思う。
天武天皇は、伊勢神宮の威を借りて、国の統一を図ろうとしたらしい。その手段として、この斎王宮を作ったのか。
●(左)斎王宮史跡の森、(右)最近できた、いつきのみや歴史体験館
地元の近鉄駅「斎宮」という名は、伊勢神宮に仕える斎王という意味だそうだ。
“さいくう”とも“いつきのみや”とも読む。ちなみに京都の三大祭のひとつ、葵祭では、
今も選ばれた斎王代の女性が祭の主役となっている。